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1年が過ぎた被災地

大震災から1年が過ぎた三陸沿岸の石巻市、女川町、南三陸町を巡ってきました。▼瓦礫は市街地からほぼ姿を消したものの集積所にうず高く積まれたまま。ようやく動き出した政府や自治体の瓦礫受け入れが順調に進むことを祈るばかりです。▼この一年何度となく足を運んだ石巻では仮設住宅の駐車場に中古の軽自動車が並び、暮らしに落ち着きも見られるようになりました。▼しかし、津波で家の土台をも根こそぎさらわれた沿岸の市街地は、満潮になると海水に洗われ家屋や店舗の再建はままなりません。幾つかの地域では高台への移転計画が動き始めましたが、鉄道の線路は錆びつき、踏切にはロープが張られたまま。海岸線には土嚢とブルーシートを組み合わせただけの堤防が延々と続いています。

▼鉄骨だけが残る南三陸町の「防災庁舎」にはお彼岸ということもあって花や折鶴、果物などを供えて合掌する人々の姿がありました。女川町では高台の小学校の一角に建つプレハブの仮庁舎で職員が忙しそうに執務。玄関の壁には香川県観音寺市の自衛隊員らの「復興」「負けるな」の寄せ書きの旗が掲げられていました。▼いまだ小雪が舞う被災地にもやがて春が訪れます。▼土地利用計画や産業再生の道筋などを盛り込んだ創造的な復興プランの早期策定と、柔軟かつ集中的な計画の実行が待たれます。

大震災の被災地「石巻」に行ってきました

▼1年生の父母の升谷昇です。父母会有志が神宮の森で野村君に声援を送っていたころ。9月17日から19日までの連休を利用して東日本大震災の被災地の仙台、石巻を回ってきました。震災1カ月後の4月半ばに訪れたときと比べ、瓦礫の撤去が大幅に進みましたが、港湾や海岸近くの商店や家屋は被災したままの無残な姿を晒し、津波で打ち上げられた船が放置されているなど、震災の爪痕は残ったまま。「3・11」から半年を過ぎたにもかかわらず、復興はおろか復旧のめども立たない厳しい現実を目の当たりにしてきました。震災1月後と半年後の被災地の様子を紹介します。写真は携帯で撮影したため鮮明さに掛けますが、お許しください。

▼仙台は私の、石巻は妻の、それぞれ生まれ故郷です。祖父母をはじめ沢山の親類縁者が住んでいます。今回の大震災で最も多くの死者・行方不明者を出した石巻。震災からほぼ1カ月後の4月16日、高速道路(東北道)を一般車両が通行できるようになるのを待って初めて被災地入り。そのとき市街地を一望できる高台の「日和山」(NHKの震災後半年の特別番組の中継場所)から撮影した光景が上段の2枚です。

▼マグニチュード(M)9もの大きな揺れと10メートルを優に超える津波に襲われた石巻の市街地は、民家ばかりか、市立病院や市民会館、学校など本来は被災者を収容・救助・救護するはずの施設までが被災。津波と相前後して起きた火災は、船や貯蔵タンクから漏れ出し海面を漂う油に燃え移り、「辺り一面火の海になった」(親戚の一人)とか。太平洋戦争の空襲による「焼け野」はもちろん写真でしか見たことがありませんが、眼前に広がる茶褐色の焼けただれた市街地。「焦土と化す」とはこのこと、と実感しました。手前には海水と火災に洗われて打ち寄せられた車が幾重にも折り重なるように無残な姿を晒しています。

▼被災から半年の今回の写真は中段と下段の計4枚。北上川の河口を鋏んで水産加工場や港湾、商店街が広がる市街地を日和山から一望。瓦礫が片づき、消毒薬が撒かれて白くなった地面に道路がくっきり。建物を解体しているクレーン車を除けば、トラックが往来する造成中の工業団地のようにも見えます。石ノ森章太郎の漫画館(白色ドーム型の建物)がある中州や岸壁は数メートルも地盤沈下し、いまも満潮になると海水に洗われ、長靴なしでは歩行もままなりません。震災後1カ月の前回は、通行止めで近づけなかった漫画館の奥に見える橋の欄干。津波が引いた後には無数の死体が引っかかっていたとのこと。

▼日和山から坂を下りた市街地の河口近くには、津波で打ち上げられた船があちこちに横たわったまま。柱が折れ、ガラスが割れ、家財道具などが流失した全半壊の家屋や店舗も放置されたまま。中心部の商店街では修復に取り組む店舗や営業を再開した商店も散見されますが、幹線道路を除いて信号機が復旧せず、警視庁や千葉県警などのジャケットを身にまとった応援組の警察官が手信号で車を捌いていました。それでも、自衛隊の車両や県外ナンバーの救急車、パトカーで溢れていた前回に比べれば落ち着きを取り戻したようにも感じました。


▼被災地は数か月後には初雪が舞う季節を迎えます。復旧作業は時間との闘いを強いられているはず。なのに、期待できない政治状況、徐々に減少するボラティアなど、復旧・復興の足取りは遅々として進まず、被災者の焦りは募るばかり。被災地はこのまま冬籠りに入らざるを得ないのでは。そうした危惧の念を抱きながら帰途に就きました。